本当の「青森」は、どこ?

ホテルから北側海手に2~3分歩いた本町2丁目の、以前は貸衣装の「孔雀宛」さんがあった場所に、現在「パラカ本町第9駐車場」さんがあり、そこにはなんと、「『青森』発祥の地」の表示板があります。
それによると、当時の青森開港奉行森山弥七郎が津軽藩主二代目信牧に対し、新しく整備を開始した港の村名を「青森」と提案した。その理由として「当時、善知鳥村の浜辺(旧:米町 現:本町)にハイネズ(ヒノキ科:地元では磯馴松と呼んでいる)に覆われた高さ一丈余(約3メートル)の小高い森があった。この森を古くから舟乗りたちが『青森』と呼んでいたことから、そのヒントを得た。」と説明しています。
だからホテル周辺のこのあたりは「青森発祥の地」(!)なのでしょう・・か。

いやしかし、青森市民図書館歴史資料室工藤大輔氏によると、弘前市立弘前図書館が所蔵する、藩政時代の「青森旧記之写・堂社建立記」なる記録には「青森と名を御付被為遊候子細者、浜町蜆貝川外ニ高サ壱丈余之森有之、浜松おいかゝり冬中にも雪消抑、いつも青き森に候得者、昔より青森と名付申候、―」とあるそう。

つまり、「浜町蜆貝川(現平和公園通り海手)の外に、高さ3mあまりの森(丘)があり、浜の松が覆いかぶさり、冬でも雪を消し払いいつも青々とした丘だったため」なのだそう。そしてそれを舟乗りたちが、海から接岸を目指す際の目印にしており、それがこの土地の通称になっていたためなのだろうと推測されます。
つまりつまり、恐らく「青森」名称の由来場所は、どうも本町2丁目界隈ではなく、現在の「青柳」付近にあったらしいということです。
・・・以上です。